3/1 いやおうなしに

2015年03月02日
あまりにも理想通りの初見。
生きててよかった2回目~7回目。
そして夢が限りなく現実になった千秋楽をしっかりと見届けて「あ、これで終わったわ」という感覚が、寄せては返す波のように激しく。

バックシームが入ったストッキングの幕が閉まり、全キャストが揃ってトークをし始めただけでも、作品に対する名残惜しさを共有できて、嬉しいのと寂しいのと半々みたいな気持ちが心地よかったのだけれど、
“お前歌上手くないのに次の出演作も音楽劇ってなんだよ(笑)。ファンからの歌って~!リクエストが一番多そうなキョン吉くんを無視して北関東歌わせる、古田新太の山中崇イジリ”
も含めて、あれ?もしかしてこれ、とっても豪華な時間稼ぎ?

と思っていたら、古田さんがもうお前ら立っちゃえよ!まだまだいけんだろ!?と素敵に煽ってくれ、幕、もう一度開脚。

両足の間に立っていたのは面影のaCKyさんやsinner-yangさんら、がっつりバンドメンバー。

スクランブル交差点からセンター街を抜け、スペイン坂を登りきり、散々人ゴミ歩いて辿り着く、渋谷の中心にあるPARCO part1の、その9Fにある収容人数458の劇場。
PARCO劇場から見下ろして見える、豆つぶのような、たくさんたくさんの人々は、ここでこんな出来事が起こっていたことを、きっと一生知ることはない。
その限られた場にいた頭おかしめな人びとと、神奈川、埼玉、大阪、名古屋、仙台、東京…各地でこのクソみたいな舞台を楽しんだ、クソみたいな人たちにもきっと向けられた、終わりのバカ騒ぎ。

山手線の左の方で、山手線の上の方の歌を大音量で。
本物の生「今夜、巣鴨で」。
そして「俺のせいで甲子園に行けなかった」。

千秋楽はaCKyさんがカーテンコールで出てきて、1曲ぐらい、みんなで歌ってくれたらいいのに。

とは思っていたけれど、言ってしまったら叶わなくなりそうだから、そんな希望は口にせずにいた。
それが、あそこまでバンド組まれて、ガチ演奏で本家巣鴨を聞くことができて、甲子園は途中からキャスト登場で、ただの大盛り上がりのライブだし、小泉さん、毛皮はだけて、両肩全開にしてはしゃいでるし、夢か。
夢か、これは。

あの場の出来事が妄想だとしても、本当に現実の3割増でしか妄想できないのだとしたら、私たちの現実もそこまで捨てたものではないのかもしれない。
『いやおうなしに』が終わってしまうのが心から寂しいと思うのと同時に、潔く、格好良く終わって欲しいと願う自分も確かにいた。
永遠に続くもの、変化のないものを想うよりも、終わるもの、移り行くものを想う方が私の性には合う。

大好きだったよー、『いやおうなしに』。

最初のうちは、途中退出上等のえげつない舞台を作ったその変態的な愛情とエネルギッシュさ、キャッチーな面影の楽曲と俯瞰した歌詞の痛烈さや、福原台詞の切なさやらに惹かれていたけれど、回を重ねるごとに作りの緻密さに惹かれていった。
細かいところにまで目が行き届いた隙のない演出の元に下ネタがあり、日々感情が動いていたのだろう新鮮な芝居の結果、狂った女は綺麗になる・・・
エンタメ要素と内容のキツさのバランス感覚は神懸かり的に良く、派手で馬鹿な舞台の盛り上がりの裏にあったのは、渋い職人芸。
回を追うごとに派手な光から渋い光に目が行くようになり、その光にこそ愛おしさを感じた。
だからこの舞台が大好きでした。



このタイミングで小泉今日子、小泉今日子言い出した自分はラッキーだったかもしれません。
もう本当にそれこそ物心付いたときからキョンキョン好きです!
なんて人は世の中ざらにいるに決まっていて、私はそんな長いファンにはタイムマシンでも発明されないかぎりなれないのですが、ただ近頃ファンになるのだとしたら、タイミング的にはやっぱりバッチリだったと。
初歌声、初ライブ『いやおうなしに』って言ってよくないですか?
だってそれ面白いから(笑)。
(シダでジーナ見てるか)(でもファンではなかったしなぁ)

とにかく何やっても「かわいい」「かわいい」言いまくってれば、それで済むような存在なのですが、「かわいい」って言い過ぎてて、そうなってくると、いよいよもってして「かわいい」ってそもそも何?なんだっけ?どうして「かわいい」と思うんだっけ?という疑問が湧いてくる。

まぁ、じゃあ、とりあえずネットから言葉の意味↓
「可愛い」
1 小さいもの、弱いものなどに心引かれる気持ちをいだくさま。
2 物が小さくできていて、愛らしく見えるさま。
3 無邪気で、憎めない。すれてなく、子供っぽい。
4 かわいそうだ。ふびんである。

主に2?
え、顔をはじめとする全体的な作りが小さいから愛らしくて、それがかわいいってこと?(笑)
まったくもってそれ、否定しないけど、事実だけれど、そういうんじゃなくて、それだけじゃなくて、そうですねー・・・

こちら側の隙を寸分の狂いもなく突かれてる感じが致します。

ここでこの表情してくるとは思ってなかった。
とか、
この声でこの歌、歌っちゃう?
とか、
50回公演続けても、一向にラップだけは上手くならなかった。
とか、
そもそも、出るって言っちゃったんだ、『いやおうなしに』(笑)。
とか
ものすごい場数踏んでるはずなのに、巣鴨で指先震えてる。
とか、、、

おうおうおうおうっ、やるならやってみなっ、て芳奈みたいに上半身ガードして構えてたら、ふっと視界から消えてスネに軽く蹴り入れてくるみたいな、その瞬間の「痛っ!」というのが「かわいっ!」てヤツかもしれない。
スネとか痛いじゃないですか、軽くぶつけてもアザ残るでしょ、いつぶつけたのか、蹴られたのかわからないようなアザがどんどん増えるでしょ。
気付いたら、アザだらけ、悟り悟られ、ハマってる。
右だと思わせて左というような正反対のギャップではなくて、右だと思ったら斜め右だった程度の、ほんの少しのギャップを操るのが上手いのだと思う。
常にちょっとだけ意外。
だから大衆と離れすぎず、でも自然に自分だけの道を歩いている。

そうなってくると、この方の「かわいい」は人の心や世の中の「隙を突くこと」。
マツコ・デラックスの言葉を借りつつ、付け足すと、ニッチ産業のビジネスアイドル、ってことになるのかもね。
隙間を見極めて、それをメインストリームまで押し上げる、そのセンスが生きた、大きいことから小さなことまで全てのことを「キョンキョン、かわいい。」のその一言に込める。

大切なことだからもう一度言う。
キョンキョンはかわいい。



『いやおうなしに』に関わった全てのみなさま、お疲れ様でした!
そして本当にありがとうございました。
やっとこさ10年芝居を見てきた中で、5本の指に入る大切な、大好きな作品に出会えたことに感謝、感謝の連続パンチを贈ります。
くらえっ。

2/19 エッグ

2015年02月21日
軽々しく書くことを躊躇したくなるところを軽々しく書く。

マチネで『マーキュリー・ファー』
ソワレで『エッグ』

人間が人間に対して、こういう行動をとるに至ってしまう原因は何か。
野田さんが知らずにはいるなって。
あったことから目を背けるのはやめろって。
事実から何も学ばず、何も感じず、過ごしてきたら、あぁなってしまうんだよね?
それは、大きな話だけではなく、小さな自分の身近な生活の中であったとしても。

広い切り口から色々な物を取り込んで、それを段々とないまぜにして、ひとつの流れにまとめ上げていく思考。
それがギュッと込められた割には一筋縄ではいかない、愛情深く、ひねくれた照れ屋な脚本。
また言葉に込めたものを役者に乗せて再び解放していく演出。
すべては野田秀樹だけのモノだと、観るたびに実感する。好き。
『キル』とか『贋作罪と罰』とかのが好みではあるけど、野田さんがスキ。

ほぼ日の糸井さんと阿川さんの連載をここ数日読んでいたのだけれど、こういう大きな話も、グレーゾーンのない二択に扇動し、大衆が動いていくことで起きてしまうのかもしれない。
白でも黒でもない曖昧な部分を自分の中に置いておき、また他人にもそんな曖昧なグレーゾーンがあることを感じておかなくっちゃいけない。
そこを一色にしてしまおうとする人、物は、とりあえず疑う。

音楽とスポーツにおける熱狂の中にはグレーな所がないのかも。
自国が白、味方だったら100%向こう側は黒、敵。
あの選手がイケメンで好みとか、あの人のプレーは職人技が光っていて渋いとか、この連携は自分たちの発想にはなかったから真似してみたい、とかそういう小さな好意を全て真っ黒く塗り潰していく。
塗り潰されてしまったら、そこに同じ命があっても気にならなくなってしまうのか?

こういう芝居を観た時、私の中の最大の抑止力は『THE BEE』を初演から何度も観ていることかもしれないな、と思う。
普通に生活していたら指示をする側にも実行する側にもならないけれど、でも確かに人間の中には、もう誰にでも、そうなりうるスイッチ、がある。
井戸は本当に、本当にどこにでもいそうな普通のサラリーマンだった訳だから。


藤井隆さんが完全に舞台役者らしくなったなと思いました。
相変わらず秋山菜津子さんが斬れ味鋭い美女でした。
妻夫木さんは老けたと思ったけれど、野田秀樹以外でも見てみたい、年を重ねたことも含めて素敵な俳優さんだと改めて感じました。
深津絵里がやっぱり大好きです。

そんな感じで。

2/18 マーキュリー・ファー

2015年02月20日
愛しているから、
愛しているから、
愛しているから、
愛しているから、
愛しているから、殺すんだ。


割と始めの方にあった兄弟2人の台詞がとっても好きで、ここ…と思っていたら、同じ台詞がそのまま、また最期にやってきた。


重い…んだよね?
とわかっていて観に行きましたが、よくある重さを超えてG、Gだ。
重力を感じた。
ジェットコースターとか、そういう娯楽レベルでなく、戦闘機みたいな、人が気を失わないギリギリのG。
心だけでなく身体全体にくる。
演劇でこれをやられると困る。
でも演劇でやらずどこでやる。


通路側の席だったのですが、ナズが側を通ったときに、彼の服が私に触れた。

あの子、生きてる。

実感がその瞬間にグッと高まる。
でもそれと同時に“パーティープレゼント”という言葉が頭をよぎった。

あの子、確かに生きてるのに、あの部屋で。


快楽に救いを求め、命の為に命を差し出す。
でもそれって愛と生を渇望しているから。


今年の2月はどこもかしこも芝居が充実していて、たまったもんじゃありません。
しかもどこもかしこも救いがないから、余計にたまったもんじゃない。
『いやおうなしに』が軽く思えてきた!
いや、軽い、軽い。
小泉今日子は永遠のアイドルです!
かわいくてありがとう!
マーキュリーファー、内容全然かわいくない!


カーテンコールなくていいよ系のお芝居です。
絶望的で露悪的な世界があそこに確かに生まれていたのは、観ていた人、みんながわかっているはずだから、そのことに対する賞賛をカーテンコールの数で表さなくてもいいかなと。

だって、早く楽屋帰ったほうがいいよ!
なんか甘い物とか食べたほうがいい!
少しでも役から離れないと、もう心配だよ!
凄い、ってのはこうして拍手の代わりにブログ書いたりして、なんか、そんな感じにしとくから、どうぞ、さっさとお帰りください。
お疲れ様が過ぎます。
白井さん、ドSでドM。


客席の壁側にまで張り出されたアパートの一室の壁、湿り気を感じさせるシミ、散らばった紙、窓から差し込むほこりっぽい光り、奥までは見えない一部屋…

芝居だと言うことを忘れるぐらいの生々しい世界があった。
役者さんやスタッフさんたちは、ここに至るまで一体どんな道を歩いてきたんだろう。
演劇的にいうと、部屋の中が見えない。というのがいいですよね。
そこは実際に見せるより、想像させた方が残酷だから。
これ、もう一回観ろ、って言われたら絶対嫌だっていう。
見たくないもん、もう。

しかしながら、なぜこれがお芝居ではなく、生々しく…リアルに感じられてしまうのか、を一番心の中に引っ掛けておく必要があるんだな。

2/17 いやおうなしに

2015年02月18日
震えを見て震えた。
小泉さん、もしかして「今夜、巣鴨で」で震えてます?
紅白?「潮騒のメモリー」なの?

ピストルの形でL字になった、その人差し指がひとところに定まらず、震えていた。




ように見えただけかもしれないけれど、おそらく…

あれだけのことやって、あれだけの芝居して、あれだけの歌歌って、度胸と勘の良さでは男にも負けません、むしろあたしに勝てるヤツ居たら出てきなさいよ、さっ、飲み行くよ!あ、ごめん、その前にタバコ一本吸わせて〜?みたいな顔して生きてる感じで、芝居もしてる感じなのに、それでいてあそこで指先震えるの?!?!

可愛い。
面白い。
可愛い。
面白い。
面白い。


もう東京だって中日も過ぎたぐらいだし、ツアーもあって回数もこなしてるのに、なおあれなんだ。
毎回あんな風に緊張するんだったら、プレッシャーだろうな。
楽しい瞬間もあるだろうけど舞台立つのも嫌だろうな。
仕事するのも嫌だろうな。
そりゃ辞めたいと思うだろうな。常に。


この小泉今日子のアンビバレンスさはなんなの。
ギリギリのところで負けず嫌いだったり、ものすごく責任感が強かったり、たくさんの人にとっても愛されていたりするのを知っているから、芸能人続けてるのかな、あの人。
辞めちゃえばいいのにね。
お金だって死ぬまでは困らないぐらいあるだろうに、でも辞めないんだね。




あざっす。


(あれが緊張による震えでなかったら、ここまで書いたもの、全くの無意味!なかったことにして!)


本日はウケのいい客席で、最初から最後まで良い感じでした。
しっかりと観てるお客さんてのは、笑うところでしっかり笑い、ポイントははずさず、この芝居だと堂崎夫婦のラストシーンが特にそうだと思うんだけど、シリアスなところでちょっと面白いようなことがあっても絶対に笑わない。
その裏にある悲しい気持ちをちゃんとみんなで一緒に感じてる。
メリハリのある客席あってこそ、舞台にもメリハリ。
楽しかった!感謝!



今日見ながらつくづく思ったのは、

高畑充希嬢に今後、白い役も振ってください!!!!

ということでした。
ここまでビッチ出来る実力を世間に見せ付けてるだけだから、飛躍しかないと思うけどね。
振り切って歌い踊り演じる姿が、格好良いとしか言えないけどね。
あれを素敵だと思えないヤツは高畑充希に一切仕事振らなくていいとも思うけどね。
気持ちの良いスカッとした歌声と演技。
大和田美帆ちゃんとか、神田沙也加ちゃんだとか、この辺、並んでも楽しいかもしれない。

あと古田さん「パチンコやってる〜」の時だけ、眉毛細めに描き変えてます?
鯉みたいなちょび髭があるのは前から見えていたけれど、太一やってる時と、もしかしたら眉毛の太さ違うかも!という発見。
タカラジェンヌかよ。
場面毎で化粧まで変えちゃって、もうっ!スキ!

神奈川や埼玉、、、他の公演でも2階席があるとカーテンコールで飛ばしてくれる投げキス。
PARCOでは一度も見た事なかったのですが、今日後方席に3発ほどチュー飛んでました。
古田さんのちゅー飛ぶとなると後方席にも座りたくなる、潜在的古田新太ファンです。
『朧の森に棲む鬼』のとき、演舞場の3階席上手でGETした投げキスが未だに忘れられないの。


えっと、それで最後に…

モスクワになんて行けないの 人生で希望を感じるのはどん底から這い上がるその一瞬だけよ祭@渋谷

をコクーンとPARCOで共同開催してるんですよね、これ、今。
なんか、言ってることたいして変わんない。
チェーホフと福原さん。
あの三人姉妹が見つけられなかった答えはもしかしたら、あの小泉今日子の震えの中にあるのかもな、などと思いもした。
怖いんだよ、面倒くさいんだよ、緊張もするんだよ。
でもあの場に立って仕事をするんだよね。
求められることに応える、小さなことから。
その積み重ねが、ほんの少しの生きる意味で、あの姉妹たちは結局、その目の前の小さなことが目に入らずに遠くの、もはやあるんだかないんだかわからないモスクワだけを見ているから、道がどんどん閉ざされていく訳で。

なんていうか、よりよく生きるってむつかしい。


緒月遠麻卒業を踏まえての、気付薬的観劇祭りはまだまだ続きます。続けます。
ここでバカやらず、いつやるの!?今でしょ!!古いっ!しかもちょっと(笑)。←わかるやつだけわかればいい
緒月遠麻以外の、私が想いを寄せる俳優、作家、演出家…出来る限り今週観てやろうじゃない。
池袋には彼が居ますし。
私のゴールデンフェニックスはいつでも劇場にいるの。

2/17 三人姉妹

2015年02月17日
渋谷に救いがなーーーい!(笑)
(思わず、笑っちゃうね)

いま、私が愛する役者さんたちが概ね渋谷に集結している。
PARCO『いやおうなしに』とコクーン『三人姉妹』。
堤真一、小泉今日子、宮沢りえ、古田新太、高田聖子、段田安則などなどなど。
いま、渋谷が消滅したら私も一緒に消滅いたすノリ。

緒月遠麻を永遠に失った今、私はコクーンから歩き始めたい。私がコクーンを求めて、コクーンも私を呼んでいる。その声が聞こえた気がして、急遽『三人姉妹』を観劇。(呼んでねぇよ)

シスの『三人姉妹』。
正直キャスト発表時には不安を感じました。これだけ豪華なキャストを揃えておいて、果たしてそれぞれを生かせるのだろうか?と。
いくら素敵な役者さんでも足し算しすぎたら胸焼けがする。この間の『火のようにさみしい姉がいて』がそんな感じだったから、少し引っかかっていた。
これだけ揃えたことによって、赤堀雅秋の名前に一番トキメキを感じざるを得ない事実にとまどった。
私は堤真一ファンなのだ。

実際観てみたら、バランスが取れていたように感じた。やっぱり、それぞれがそれぞれの役割をまっとうして出来上がっている大人なカンパニー。『火のように〜』は大竹しのぶだったからなのかな?(笑)

観ていて思い出したのは『どん底』と『社長吸血記』。
ケラさんの演出によって、人と人との間に感情の線が引かれて、この時この人に対してこの人はこう思っている…一方こちらは…というように感情が動き緻密に絡み合っていく、その辺りに『どん底』。
そしてそれが、少しづつズレ、少しづつ破滅に向かっていくような、なんとも言えない嫌な居心地の悪さ。
歯車はとっくの昔に噛み合っていないのに、ギシ、ギシ、と音を立てながら無理矢理に時間が過ぎていく。そのことに気がつかない人の滑稽さと怖さが『社長吸血記』。

働くこと。
生きていく意味。
それがきっと見つかる未来がある、
私たちの今はその未来と繋がっているに違いない。
だから、生きるんだ。
生きるしかない。
でも、生きてる意味って一体何?
わっかんない。
やっぱ、絶望。

終幕。

みたいな、そんな世界。
チェーホフが描いた世界と今現在の私たちとで何が違うのだろうか。
怖いなー、嫌だなー、本当嫌になっちゃうなぁ…。はぁ。

赤堀さんが余貴美子、宮沢りえ、蒼井優の兄という配役の時点で、この舞台に漂うチグハグとした空気感や滑稽さみたいなものが奇妙なバランス感覚で浮かび上がったと思う。
赤堀さんの奥さん役の神野さんが、またすごく嫌な感じで、きっちり観ている側をイライラさせてくれ、ピリッとスパイスに。

宮沢さんは壊れてしまうんじゃないかと思った。大丈夫なのか、こんなのを1ヶ月ばかり続けていて。
モスクワへ、この閉塞から逃れてモスクワへ。
諦めた風を装いながら、一番外を渇望していたのが彼女かもしれなくて、その思いを託す形で堤さんに惚れ、彼が居なくなったことで崩れ落ちる。
また凄いものを見た。
誘惑する姿は美しく扇情的で、あんなのもう従うしかなく。
グランドピアノに寄り掛かる喪服姿の宮沢りえだなんて、もう黒という色に感謝を覚えました、わたし。あのまま切り取って、あの姿を額縁に入れて飾っておきたい。
宮沢りえと同じ時代に生まれ、彼女の姿をこうして見られるのはすごいことかもしれない。

堤さんはそんな宮沢りえの相手役として相応しく、格好良い時は格好良く、でも言葉で理屈こねるけど、結局同じ穴のムジナ的なアホっぽさがあって、その格好良さとおバカさのバランスがいかにも堤真一的。ロシアヒゲも見慣れたらアリに見えた。

『かもめ』は楽しめなかったんですが、それもこちらのテンションが大きく影響していたかなぁー。
地味は地味だと思うのだけれど、照明や音と演技…繊細な変化と連動を求めた演出には並々ならぬこだわりを感じたのは間違いない。
観客は基本一度しか観劇しないわけだから、その100分の1も感じられていないのかもしれないけど、それでもやっぱりケラさんだなーと思えたのは嬉しい。

演劇、まだまだまだまだ、楽しいわ。もう死ぬまで楽しいよ。きっと。

りえさん、千秋楽まで、どうぞご無事で。
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