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11/29 カリギュラ

2007年11月30日
karigyura

2007年11月29日『カリギュラ』@シアターコクーン

作:アルベール・カミュ
演出:蜷川幸雄
出演:小栗旬/勝地涼/長谷川博己/若村麻由美/横田栄司/月川悠貴/廣田高志
    塾一久/青山達三/磯部勉/他


気持ちがピリピリして、仕方がない。
ピリピリピリピリする。

カリギュラが抱いていた理想も何も、私にはわからない。
彼の感情を真に理解することはできない。
でも、そこを超えたところにある彼の純粋な感情だけは、痛いほど伝わってきた。
カリギュラを愛した人たちに対してもそれは、同じ。
どうカリギュラを愛しているのか・・・そこを深くは理解できなかったけれど、
彼らがカリギュラと対峙する時、カリギュラに対してどんな気持ちを抱いているのか、
またそれも痛いほど伝わってきたんだ。

蜷川さんにはわかんないんだろうな。
どうしたって、蜷川幸雄にはわからないんだよ。
私が蜷川幸雄より感覚の鋭さとか、
様々な面で劣っているだろうことは、今は棚にあげる。

蜷川さんは絶対に、初めて見る状態で、
2階席やらの果てから、自分が演出する芝居を見ることができない。

これはもう、絶対にそうだ。
絶対に無理だ。

私はコクーンの2階席から、この『カリギュラ』という舞台から発せられる熱量を、
受け取ることができなかった。
眠くなった。
3列目で見た今日は、脳みそフル稼働で眠ってるスキなんてなかった。

その違い。
もちろん私自身の精神状態とか、体調とかの違いもあるだろうけど、
でも、それだけではない気がするので、書き留めておく。

この一言で、私が今まで見た全ての蜷川作品の欠点みたいなものが、
表れてしまうんじゃないかと思うんだけど、

蜷川さん、自分の芝居を3時間だったら3時間丸々、2階席とかから見たことある??
ないんじゃないか??
あったとしても、それは演出家の視点であって、観客の視点ではないよね??

蜷川さんは誰よりも役者の近くで演技を見ている人だろう。
稽古中に役者さんの最大限の演技を引き出し、その演技に触れる。
それから表情のわからないような、離れた場所からその役者さんの芝居を見るとする。
役者さんの演技は、蜷川さんが近くに居た時と変わらない。
変わらなかったとしたら、見た場所が離れていても、蜷川さんは同じように評価するはずだ。

でも、お客さんって、近くで見た状態を知らないまま、
2階の果てでの観劇が最初で最後だったりするわけで・・・

私にはどうしても、舞台の熱量を、
遠い席から受け取れるとは思えない。特にそれが初めて見るのであれば。
『天保十二年のシェイクスピア』とか『白夜の女騎士』とか、
あぁいう派手めの芝居は別。
『カリギュラ』とか『ひばり』、こういう台詞劇は絶対辛い。
少なくとも私にとっては辛い。

辛くっていいのか??

やるからには2階の果てまで芝居を届けていただきたい。
とか生意気書いちゃったけど、やっぱり私の見るレベルが低いだけなのかなぁー

蜷川さんの演出の特徴は、舞台美術とか、照明とか、そんなところにはなくって、
役者の演技の仕方にあったんだな、ってのを強く感じた『カリギュラ』。
役者本人が持っている感情を、役と一緒に発散させることを要求しているというか。

どうして怒ってるんだ?
どうして泣くんだ?
お前は今までそんな気持ちになったことねーのかよ?
ビクビクしてねーで見せろよ。
お前の腹ん中にある汚ねぇ感情も美しい感情も、全部さらけ出しちまえ。

そんな演技をさせる。
特に若い子にはw
藤原竜也、鈴木杏、小栗旬、松本潤・・・エトセトラエトセトラ・・・

役者にそういう演技させるのが、蜷川演出の一番の特徴だったんだ。
野田さんだったり、ケラさんだったら、絶対こんな演技させないもん。
ケラさんは「蜷川さんっぽい芝居して」とか逆手にとって演出しそーだけどw

色々書いておいて、いきなりだけど、今日は本当に面白かった。
シピオン、ケレア、エリコン、セゾニア。
三者三様ならぬ、四者四様のカリギュラへの愛情が、しとしとと私の中に染みてきた。
それぞれの気持ちの揺れを感じるのが、楽しくって仕方なくって・・・
あーもう、脳ミソ稼動させすぎて疲れたけど、良い疲労感。
三時間越える芝居をほぼ微動だにせず見れたのは、久々。

まずシピオン。
勝地君は実際ピュアじゃなかったとしてもw、ピュアに見えるだろう人だよなー
なんだ、あの瑞々しさは。
読んだ詩がカリギュラの世界と重なっていく。
ある種理想とする世界が同じ彼ら。
だけど、シピオンは純粋な善。そしてカリギュラは純粋な悪。
共鳴しあいながら、相容れない二人の関係が色っぽい。

ケレア。
カリギュラを憎みはしない。カリギュラの理想郷を理解している。
しかし、自分はその世界では生きていけない、幸福になれない。
それが彼が突き進むべき彼の論理。
これもカリギュラとは相容れない。
また共鳴しあいながら、反発しあう。
シピオンより、ケレアのが、カリギュラへの距離は遠い印象。
距離を置いて、カリギュラのことをある意味尊敬し、愛しているのがケレア。

「今それをしたと思うのですが?」

って台詞、良かったなぁー。
ちょっと北村有起哉を髣髴とさせる、鋭い眼も魅力的な人だ。
物事を冷静に、客観的に、鋭く判断することができそうな、清潔な存在感。

エリコン。
カリギュラに対して、最終的に絶対服従。
誰よりもカリギュラを見つめる眼差しが、慈悲に溢れていたのがエリコンかも。
本当に愛おしそうにカリギュラの事を見つめる。
横田さんって、こんなに良い演技をする人だったんだ。

セゾニア。
前回見たとき気になった役だけど、やっぱりセゾニアは面白い役だった。
カリギュラに残酷な女になれ、と命令されてからのセゾニアはイイ!
女を感じさせない、残酷な人間になったと思ったら、
カリギュラが苦しみ始めたりすると、一瞬だけ女に戻る。
そしてすぐまた残酷さを取り戻す。
その一瞬だけ見せる女っぽさ、っていうのが、もう、ね。

カリギュラがセゾニアを殺した理由。

カリギュラはセゾニアが老いることに恥ずかしさを覚えてしまう、
とかなんとか、言ってたよね?
それってすなわち、カリギュラがセゾニアを愛しているということで、
でもカリギュラが目指している世界には「愛」はない。
自分の中の「愛」=セゾニアを自分の手で殺すことで、
カリギュラは自分の世界に近づこうとしたんだろう。

セゾニアは愛されていることを実感できたから、殺されたとしても、
それはそれで幸せだったんじゃないか。

この4人の男女の愛情を一身に受けておきながら、
そのことにすら苛立ち、反逆し続けていたのが、小栗旬演じるカリギュラだ。
彼がカーテンコールの真ん中に立ってお辞儀をする姿。
それが見れただけでも良かった。
隣りにナリがいるわけでもない、鋼太郎さんもいない、小栗旬が主役だ。
小栗旬を主役にしてくれたのは蜷川幸雄だ。
ありがとう、蜷川さん。
カリギュラがヴィーナスやるのも、貴族を殺すのも、
全て同じ論理の上にある、一貫した行動として見ることが出来た。

シピオンが詩を読んだ後「もうあなたは選んでいる。」っていうのは、
「(死を)選んでいる。」ってことなんだと、思った。

見た目的にもマントは似合うし、もちろん背も高いし、スタイリッシュだし、
(藤原竜也じゃこうはいかない。たっちゃんもスキだけど。)
もう、本当に旬君いいよなぁー。

カリギュラだったもん。
小栗旬以外に、カリギュラを演じられる若手の役者はいないだろう。

月がほしい・・・か。
不可能を手に入れて、世界を塗り替える。革命を起こす。

難しくって難しくって理解できない世界だと思っていたのに、
今日は、言葉の意味の奥にある感情を頼りに、
カリギュラの気持ちを少し分けてもらったような気がするんだ。

だから、ピリピリしたのかな。
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