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早稲田松竹で『紙の月』と『空中庭園』

2015年03月31日
「バレない嘘は嘘じゃないのよ」

あのあと食べたショートケーキの苺は、きっと甘さがなくって、苺の食感と共に口の中にじゅっと果汁とその酸味だけが広がっていくような、なにか味が足りない、そんな苺だったんじゃないかって思った。
見ながら一緒に同じ苺を同じ気持ちで食べた気分。


小泉今日子をスクリーンで見てみたくて、映画館で声を聴いてみたくて、高田馬場の早稲田松竹で『紙の月』と『空中庭園』の二本立てを。
宮沢りえと小泉今日子主演映画を同時に見られるなんて、とても至福!

考えてみればシネコン以外で映画をこうして見るのは初?
初スクリーンで小泉今日子?

色々新鮮でした。

徐々に上げて行きたかったので、宮沢りえ→小泉今日子の流れで鑑賞。
『紙の月』は初見。
『空中庭園』はDVDで見てたので再見。


巻き戻しができないからか『空中庭園』の展開がDVDより早いように感じられた。
印象に残っていたシーンが次から次へと出てくる。
コンビニで振り返った時の顔、フォークでムカつく女を滅多刺し、求められてもローンの話でかわしておやすみなさい、性の話も包み隠さず話す家族の食卓、雨の中の叫び……

とにかくここぞというところで、必ず良い顔をしている、小泉さん。
これだけの顔をしていてくれ、という監督の想いが強ければ強いほど、『わかりました』と、無言でその想いを受け止めて、仕事で返す。
それが、映画の中の、女優としての小泉今日子。


“女優”という言葉を出してはみたけれど、小泉今日子を女優と言い切ってしまう事には、なんだか抵抗がある。
“女優”って言葉がしっくりとこない。
結局何をしているときも、小泉さんがやっていることって変わらない気がするから。
歌うことを求められたら曲を作った相手側の意図と自分の感性を混ぜて歌うし、写真を撮られる時も、芝居をするときも同じで監督と役と自分との間の着地点を見誤らない。
だから、ただ歌手でもないし、女優でもないし、そんな中で言えるのは小泉今日子は小泉今日子であるということと、唯一当てはまるとしたら“アイドル”というその言葉だけかも。
単一カテゴリーですよね「小泉今日子」という。



この人を見れば見るほどそう感じられるのが面白くって、また顔が違う!とワクワクして、細胞の新陳代謝の連続を目の当たりにしているようで、今や虜。
吸って吐いて、食べて飲んで出して、人は常に変化してる。実は。
そこのところが「実は」ではなく自然なのが小泉さん。
素敵だよね。

初めてスクリーンで見て余計に映画向き…なのかな?と感じた。
テレビよりも撮る人の個性があったほうが良いし、細かい表情、カメラを向けられた際の瞬発力の高さが大きな魅力だと改めて感じたので、そういうのはやっぱり舞台での演技よりも、映画での演技でより生きる。
身体が使える人ではないのでね。
同じ顔してたって、舞台では表情だけでは伝わりきらなかったりするから。

「死ねば?」もいいけど、それ以上に「おかえり」って言われたいです。
二度目の誕生日を迎えた絵里子が次に食べるショートケーキの苺の味は、とっても甘いといいな。



『紙の月』は、出演者はみんないいけど、脚本かな、いや、演出もかな、あと一歩足りないと感じた。
りえさんと、池松くんのベッドシーンのBGMってあれかな?軽さに違和感。
もうワンテンポ早い興奮と破滅が欲しかったし、ラストシーンがいまいち納得いかぬ。
あそこまで堕ちた先で中途半端な救いはいらない。

ただ好みの問題もありますが、宮沢りえと小林聡美の対峙は絶品だったー。
「一緒に来る?」
と声を掛けた、りえさんの一瞬の表情と、それを受けた聡美さんの表情。それだけで通じ合う。
二人が同じ世界にずっと居たことがわかった。
そして、風が吹く。

撮る人によると思う。
『紙の月』の宮沢りえは流れるように堕ちていく感情の芝居を。
『空中庭園』の小泉今日子は闇の部分を時折叩きつけるような、結構狂暴な芝居を見せてくれたと思う。


あぁ、楽しかった。
好きな役者さんの演技を見てるのって、私にとって何よりの幸せ。

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