2/17 三人姉妹

2015年02月17日
渋谷に救いがなーーーい!(笑)
(思わず、笑っちゃうね)

いま、私が愛する役者さんたちが概ね渋谷に集結している。
PARCO『いやおうなしに』とコクーン『三人姉妹』。
堤真一、小泉今日子、宮沢りえ、古田新太、高田聖子、段田安則などなどなど。
いま、渋谷が消滅したら私も一緒に消滅いたすノリ。

緒月遠麻を永遠に失った今、私はコクーンから歩き始めたい。私がコクーンを求めて、コクーンも私を呼んでいる。その声が聞こえた気がして、急遽『三人姉妹』を観劇。(呼んでねぇよ)

シスの『三人姉妹』。
正直キャスト発表時には不安を感じました。これだけ豪華なキャストを揃えておいて、果たしてそれぞれを生かせるのだろうか?と。
いくら素敵な役者さんでも足し算しすぎたら胸焼けがする。この間の『火のようにさみしい姉がいて』がそんな感じだったから、少し引っかかっていた。
これだけ揃えたことによって、赤堀雅秋の名前に一番トキメキを感じざるを得ない事実にとまどった。
私は堤真一ファンなのだ。

実際観てみたら、バランスが取れていたように感じた。やっぱり、それぞれがそれぞれの役割をまっとうして出来上がっている大人なカンパニー。『火のように〜』は大竹しのぶだったからなのかな?(笑)

観ていて思い出したのは『どん底』と『社長吸血記』。
ケラさんの演出によって、人と人との間に感情の線が引かれて、この時この人に対してこの人はこう思っている…一方こちらは…というように感情が動き緻密に絡み合っていく、その辺りに『どん底』。
そしてそれが、少しづつズレ、少しづつ破滅に向かっていくような、なんとも言えない嫌な居心地の悪さ。
歯車はとっくの昔に噛み合っていないのに、ギシ、ギシ、と音を立てながら無理矢理に時間が過ぎていく。そのことに気がつかない人の滑稽さと怖さが『社長吸血記』。

働くこと。
生きていく意味。
それがきっと見つかる未来がある、
私たちの今はその未来と繋がっているに違いない。
だから、生きるんだ。
生きるしかない。
でも、生きてる意味って一体何?
わっかんない。
やっぱ、絶望。

終幕。

みたいな、そんな世界。
チェーホフが描いた世界と今現在の私たちとで何が違うのだろうか。
怖いなー、嫌だなー、本当嫌になっちゃうなぁ…。はぁ。

赤堀さんが余貴美子、宮沢りえ、蒼井優の兄という配役の時点で、この舞台に漂うチグハグとした空気感や滑稽さみたいなものが奇妙なバランス感覚で浮かび上がったと思う。
赤堀さんの奥さん役の神野さんが、またすごく嫌な感じで、きっちり観ている側をイライラさせてくれ、ピリッとスパイスに。

宮沢さんは壊れてしまうんじゃないかと思った。大丈夫なのか、こんなのを1ヶ月ばかり続けていて。
モスクワへ、この閉塞から逃れてモスクワへ。
諦めた風を装いながら、一番外を渇望していたのが彼女かもしれなくて、その思いを託す形で堤さんに惚れ、彼が居なくなったことで崩れ落ちる。
また凄いものを見た。
誘惑する姿は美しく扇情的で、あんなのもう従うしかなく。
グランドピアノに寄り掛かる喪服姿の宮沢りえだなんて、もう黒という色に感謝を覚えました、わたし。あのまま切り取って、あの姿を額縁に入れて飾っておきたい。
宮沢りえと同じ時代に生まれ、彼女の姿をこうして見られるのはすごいことかもしれない。

堤さんはそんな宮沢りえの相手役として相応しく、格好良い時は格好良く、でも言葉で理屈こねるけど、結局同じ穴のムジナ的なアホっぽさがあって、その格好良さとおバカさのバランスがいかにも堤真一的。ロシアヒゲも見慣れたらアリに見えた。

『かもめ』は楽しめなかったんですが、それもこちらのテンションが大きく影響していたかなぁー。
地味は地味だと思うのだけれど、照明や音と演技…繊細な変化と連動を求めた演出には並々ならぬこだわりを感じたのは間違いない。
観客は基本一度しか観劇しないわけだから、その100分の1も感じられていないのかもしれないけど、それでもやっぱりケラさんだなーと思えたのは嬉しい。

演劇、まだまだまだまだ、楽しいわ。もう死ぬまで楽しいよ。きっと。

りえさん、千秋楽まで、どうぞご無事で。