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4/5 写楽考 初日 1回目

2007年04月06日
syaraku

2007年4月5日『写楽考』初日@シアターコクーン

作:矢代静一
構成・演出:鈴木勝秀
出演:堤真一/高橋克実/長塚圭史/キムラ緑子/七瀬なつみ/西岡徳馬

納得いかない。
なんでこんなすら~と流れていくだけの綺麗な話になっちゃったんだ。
私が、戯曲を読んで、心ざわつかせて、わくわくした写楽考は、
こんな写楽考じゃない。(戯曲の感想は2月5日「写楽考を読む」)

私が魅力を感じた混沌した雰囲気が感じられなかった。
戯曲で感じたざわめきが、舞台にない。
もうここがなければ堤真一が出てようがなんだろうが、関係ないからね。

唯一、期待通りに私の心をざわつかせてくれたのが、
キムラ緑子さんのお加代だ。
ミドリコさん、まさに女優なんだなぁ・・・
女優っていう職業っていうか、生き方が好きで仕方ないんだろうなぁ・・・
お加代で登場した姿を一目見て、直感的に「この人は好き。」って思った。
そして、伊之と過ごした部屋から出て行くときの後姿。
そこにいるのは、私が想像したお加代そのまま。
想像した通りの人が、そこに本当に存在してくれる。嬉しかった。

演じる上で、そして演技を見る上で声というのは、本当に大切だわ。
私、ダメだ、長塚圭史の声が。
声に深さが感じられないから、
彼がどんなに演技をしていても、それは私には薄っぺらく感じられる。
だから逆に声さえ良ければ、多少演技があれでも、上手く見えるんだろうな。
まぁでも正直、声がどうこう以前に、
このメンバーの中だから特にそう感じるのかもしれないけど、
圭史さんの演技、浮いてた。

お加代の死体を前に、絵を描き続ける勇助。

ここだと思うんだよ、勇助は。
ここさえ良ければ、あとはテキトーでいいんだよ。
今まで、誰にも見せなかった彼の中にある狂気が、才能が、
自分を愛していた女の死体を前にして、表に溢れ出る。
本当ここにさえ、真実味があれば、あとはどーでも良かった。

でも実際、全然惹き付けられなかった

勇助を高橋克実で見たい。
今から変えてくれ。

高橋さんが演じる幾五郎っていうのは、高橋さんの演じる役でよく見るタイプ。
ひょうきんで、明るくて、喋り好きで・・・なんかそんなん。

高橋さんが勇助を演じれば、もっと勇助という役の振り幅が出るはず。
で、圭史さんが幾五郎を演じれば、
飄々としてればそれで成り立つ役だから、粗が目立たない。
第一、圭史さんと堤さんとじゃ年が離れすぎてるんじゃないかなぁ。

堤真一は、例えば藤原竜也とか、大竹しのぶみたいに、
自分のエネルギーを爆発させて周りを巻き込んでいくような役者ではない。
周りを見て、周りと共に役を高めていく役者だ。

『吉原御免状』の松永誠一郎が真っ直ぐで格好良かったのは、
勝山(松雪泰子)という愛する女がしっかりと存在し、
そして義仙(古田新太)という心の底から憎いと思える敵がいたから。

『タンゴ・冬の終わりに』の清村盛があんなにも清村盛だったのは、
最終的に清水邦夫の戯曲と、蜷川幸雄の演出と、自分とを、
これでもかというほど、せめぎ合わせていたからだと思う。

今回、堤さん演じる伊之が、一番、向かい合わなければいけないのが、勇助。
だけど、その勇助が弱い。
だから核となる伊之と勇助のやり取りに、
緊迫感が客席にまで伝わってくるような、芝居としての楽しさがない。
堤さんが、鋭さを見せたのは、
お加代と交わりながら、お加代を殺そうとした場面ぐらいだったと思う。

七瀬なつみさん、西岡徳馬さん。
二人も想像した通りの、お米と、蔦谷だった。良い。
でも、あんまり伊之との絡みがない役だから・・・
っていうか、絡むのは伊之がしっかりと自分を見つめるようになって、
言葉数が少なくなってからだから・・・

七瀬さんの演技って見たことがなかったので、
どんなお米になるんだか、期待半分、不安半分で見に行った。
だっけどね~すっごい良かったよ!
お米って、なんて言えばいいんだろう、
生命力の可愛さっていうか、
生きることにがむしゃらで、そこがなんだか妙に可愛い女だと思うんだ。
自分の身分が低いこと、そしてその身分から逃れられないこと、
悟っている悲しさだとか諦めがあって、でもその上で可愛いの。いじらしかったりね。
七瀬さんのお米は、そんなお米。

伊之に抱き付かれて泣いたお米。
お加代の子供を引き取り、伊之と暮らして10年経ったお米。
伊之の死を前にしたお米。

全部、お米という一人の女性のまま違う表情を見せてくれた。

徳馬さんの蔦谷は、これまた期待通りの蔦谷。
まず商売、自分のことが第一。そして賢い。いやずる賢いのか。
だけどすごく嫌な感じがする男ではないんだよね。
それなりの人情を持っている男だっていう感じも漂ってる。

で、始めに戻るけど、
混沌がなければ、その対極にある平穏も生きないんだよ。

戯曲を読んだ時、とにかくごちゃごちゃとした時代の中で、
一心不乱に生きた男を描いたその後に、その男から生まれた新しい命が、
ただただ暖かい陽射しの中で続いていく様が描かれていることに、
またグッと惹き付けられたんだ。
生きることの根本をみせてくれた感じでさ。

でもね、でもね、その暖かさ、心地よさが、
前が暑かったり寒かったりしないからよくわかんないんだって。
全部がただ、すら~と流れていっちゃうから、差がないの、あんまり。
戯曲だけの方が、最後にもっとふわっとした気持ちになったんだって。
混沌とし、殺伐としているから、暖かさの良さがわかるのに。

しかも高橋さん、やってはならない間違いするし。
これね、間違ったから笑えるとかそういうレベルのミスじゃない。
話の根源に関わるミス。
絶対、叱られるんじゃなかろうか、しゃちょーに。

「歌麿だ。」って言わなきゃいけないところを、
「うたっ、ゆ、勇助っ、歌麿だ。」
とかなんとか、言っちゃいましたからね。
会話をしていたミドリコさんは、フォローしようもなく
「いえ、勇助さんという方でしたよ。」と。

話の流れとしては・・・

のどかな村まで、お米とお春達を送り届けてくれた優しい男がいる。
お春にとってその男は自分の父親かも知れないわけで、
ともかく縁の深い人物であるのに、
お春はそのことを知らず、ただ「勇助」という名前だけを覚えている。

お春の元を訪れた幾五郎は、その優しい男の話を聞き、
『その男は歌麿に間違いない!』と確信する。
そして言う一言が

「それは歌麿だ!」

それを聞いたお春の返しが、

「いえ、勇助さんという方でしたよ。」

お春は、歌麿と勇助が同一人物であることを知らない。
そのことを知らないと言うのは、自分の生まれの裏にあった、
人間達の壮絶な生き様をまるきり知らないと言うこと。

でもそれでいい。
幾五郎もそこから何も話を広げたりしない。
彼もそれでいいんだと思ったから。
それでも命はつむがれていく。
暖かな日差しの中で・・・
幕。

となるはずが、トリビアの司会の方によって

お春に勇助と歌麿が同一人物だってことがバレかけましたから!!

「え?勇助さんと歌麿さんというのは、同じ方なんですか??」
「歌麿さんは父の兄弟子の・・・それがなぜ私達を!?」
「ちょっと、あんたへらへらしてんで、吐け!吐けよコラっ!」

ってな展開になってもおかしくなかった。危ない、危ない。
お春が、深く追求しない人で良かったね。

最後の最後だけ、宙乗り、絵の描かれた幕がバサッと落ちてくる。
っていう、歌舞伎っぽい演出があって、それがまた私には意味不明だった。
伊之は絞首刑になるわけだけど、
縄で首を吊ったら、浮くんですよ。天井まで。フライング。
しかも、目元に、自分の描いてきた役者達のような赤い隈取を入れて。

伊之、東洲斎写楽の一生、ここで終!!

みたいな、インパクト、最後のエネルギーの象徴みたいな感じの意味合いの、
宙乗りもどき、隈取もどきなのかもしれないけど、
んなことより、他にやることあるだろ。

で、その後にチョンパって感じで、のどかな農村風景になるんだけど、
その後ろの幕がしょぼいのなんのって。
桜と、山と、道と、なんかそんなのが描いてある幕なんだけど、
一気に学芸会チックですよ。
それまでは代わり映えしないけれど、
なかなかイイ感じの舞台美術だったのに、その幕で台無し。
あちゃー・・・って思っちゃいましたよ。
宝塚以外でこのあちゃー・・・はやめていただきたい。
写楽の描いた絵が降りてくる美術は、
予想通りではあったものの、でも雰囲気があって良かった。
基本的には、『天保十二年のシェイクスピア』みたいな感じで、
長屋のセットが行ったり来たり、畳一畳が行ったり来たりで、場面転換が続く。

もっと上手く使えばもっと可能性は広がっただろう、和太鼓と笛。
この生音から始まるオープニングは、期待が高まる良いオープニング。
写楽考っていう話に和太鼓と笛の音はピッタリ合うんだ。

だんだん、止まらなくなってきたな。(笑)

私とスズカツさんの演出は合わないのかもしれない。
そんなことまで考えるようになってきぞ。はっはっはっ。
前に見た、鈴木勝秀さんの舞台『ダム・ショー』。
今、感想読み返してきたけど(上のリンクで感想に飛びます)、
ここでも「理由がわからなかった」発言してるよ、私w

私は、『写楽考』という舞台の混沌とした世界と、
平穏な世界との揺れ幅に魅力を感じた。
猥雑さとか、ざわつきとかが好きだと思った。

だけど、スズカツさんはそういう部分の下に見える、
人間の姿っていうのを冷静な目を持って切り取っていこうとしてる。
そんな感じがする。だからあんまりざわつかない。

猥雑~とか言ってて、「あ、蜷川さんに演出してほしーや。」と思ったなぁ。
なんか私好みの『写楽考』にしてくれそうだから。
よくよく考えてみれば、私が今まで見た蜷川さんの舞台は、
ざわざわしてたほうが面白かった。
『オレステス』や『あわれ彼女は娼婦』とかより、
『間違いの喜劇』、『天保十二年のシェイクスピア』、『タンゴ・冬の終わりに』とかの方が、
舞台が生き生きしていた気がするもん。
で、私もそっちの方が楽しいと思ったし、とにかく好きだと思った。
きっとエネルギーを秘めた爆発する戯曲と、蜷川さんの演出は合って、
それで出来上がった舞台は、私も好きなんだね。

私は写楽考にも爆発してほしかった。

実際は良く出来てたけど、でも爆発しない芝居だった。
爆発するための火薬は、これでもかってほど詰まった戯曲だと、思うんだけどさ。
その火薬をどう見るかで、芝居がどう出来上がるかが変わるのね。



ここまで長々と読んでくださってどうも!
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ランキング上がると、嬉しいのでどうぞ!
Comment
以前マキノノゾミ演出で観ましたが、正直、戯曲の方が印象が良かったかも・・・という感じがチラッとしたのを思い出しました(笑)。
その時は休憩時間に隣りの席のおばちゃんたちが、あの場面はいらないとか、あの場面がなければだいぶ短くなる、とか話していたのにイラッとしたのでした。省いちゃだめだよそこ、みたいな。なので今回、どんな風に短くなっているのか、というところにも興味あります。
あの戯曲を書いた矢代静一はほんとスゴイ。観劇前にもう一度読まねば!
また訪問があいてしまいました(;>_<)反省。

舞台芝居における「声」の重要性、よく分かります!同級生の男子が出てた芝居を観たら、声が素晴らしくて感心したという思い出あるなぁ(''o)


長塚さんは昨年『桜飛沫』で観てますがイマイチ印象に残ってないという‥‥ね。
(単に他の役者のインパクト記憶が強くて思い出せないだけですが)
今回は役にハマれなかった感じでしょうかね。
★青瑪瑙さん★
これだけ熱く文句言っといて、ワタシ戯曲1度しか読んでないんですがw、
省かれ方については、気になる部分ありませんでした。
そういう意味では、すっごくすんなり写楽考。
でも、次のページに進むのがワクワクして仕方ない!みたいな、
戯曲にあったゾクゾク感が感じられなくって・・・
綺麗にまとまっているとは思ったんですが、
『私がおもしれぇぇぇ!!と感じた写楽考はこんな綺麗な話じゃないやい!!』
と、なんだか消化不良で。戯曲読まなきゃ良かったのかな~?

★はなさん★
まとめ読みのはな、参上ですね。いらっしゃいませ。(笑)
カテゴリーを活用していただいて、
宝塚関連の記事を飛ばして読んでいただけると、
幾分か読みやすいかと思われますw

『桜飛沫』・・・今だから白状しますが、私、あの中のどれが長塚圭史だったのか、
最後までわからなかったんですよw
見終わって友達に確認しても、なんとなくでしかわかりませんでしたね。

あくまでも私の感想なんですが、ハマれなかったというか、
まず第一に周りと演技の差がありすぎだったように感じましたね~

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