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野田版 桜の森の満開の下

2017年08月29日
あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、、、
やっと、やっと、やっと、やっと、やっと、出会えました。
『桜の森の満開の下』に。
この作品と出会えたことは確かに現実なのだけれど、
千秋楽を過ぎた今も、やっぱりあれは夢だったのでは?と思う瞬間が幾度もあり、
でもでもやはり、私は歌舞伎座で『桜の森の満開の下』を観たのだと、
そう実感を残しておくにはどうすればいいのだろう、
書き残しておこうかな、昔のように。
『桜の森の満開の下』に憧れ始めた昔のように、
言葉に残しておこうかと、ふつふつと思い立ち、
久しぶりにここにポッと出てみた。

私が観たのは初日と前楽の2回。
回数のことを言えばもっと間で観られたはずだし、
千秋楽だって観に行こうと思えば行けたに決まっているのだけれど、
なんだかちょっと怖いのと、
たくさん観たら薄れてしまうような気がして、2回に収まりました。

初日…の思いはあとあと書くとして、前楽ですわ。前楽。




野田さんがこれまでの呪いを解いてくれ、
そして新しく同じ呪いをかけてくれたような、そんな心持ちになりました。
それがすごくすごく嬉しくて、清々しくて、ものすごくすっきりとした気持ちです、今。

夜長姫の「お前がころがるなら、あたしもころがっていくよ。」あたり。
割と膨大な時間の、これまでの全てが雪崩れ込んできたような感覚なのに、
ひとつひとつが明確に理解できているようにも思えた一瞬。

あ、この瞬間のために、今までがあったんだ。
全てが、今、ここで、『桜の森の満開の下』を見るための布石だったんだ。

と、感じたんです。

まあ、、、
言葉にすると、改めてこうして、書いてみて、自分で目で見て、読んでみても、
なんてこの人、大げさな、ほんとに、まあ……と半分の自分は思うのですが、
もう半分の自分は、本気で「これが運命か」と滂沱し、打ち震えました。


・野田秀樹の舞台を初めて観たのは、2004年12月22日。
深津絵里が大好きだったんです。18歳で高校卒業前。
進学先も決まり、バイトも始めたし、
渋谷なんか数えるほどしか行ったことがなかったけれど、
深っちゃんを生で見たかったから、
『走れメルス〜少女の唇からはダイナマイト!〜』。
野田さんの名前は知っていたけれど、ただ名前を知っているぐらいだった。
こうして野田地図を観に行って、頭ぶん殴られたのが、
今から約12年ほど前ですか、そうですか。
深っちゃんの相手役、久留米のスルメは、
勘太郎時代の勘九郎さんだったのもサダメ感を高まらせる。

2004年が初野田さんなので、
当然新国立の深津、堤ver.の桜の森〜は見ていないけれど、
深津絵里も夜長姫、その相手役だった勘九郎さんが耳男。
メルスの千秋楽の客席には、確か勘三郎さんもいたよね。
そしてずっとそこにいる野田の秀樹さん。

芙蓉とスルメの姿が、舞台の上の七之助さんと勘九郎さんの姿と重なったと思ったら、これまでの全てが、サブリミナル的に頭をよぎり、
パズルのピースがパチパチと音を立てながら、
ものすごいスピードではまっていった。
そして、まざまざと浮かび上がったのが、この『桜の森の満開の下』だったのだと、
あの散る桜の花びらの中で舞う夜長姫と耳男だったのだと、
私にはもう、そう思えてならなかった。泣く。
これが妄想だとしても、もう、そうなんだから、そうなの!!


・メルスを観た後、野田秀樹は天才だと思いました。
いや天才なんか遥かに超えてないか?この人…え?人なの?神じゃないの?期間。
が、私には確かにあって、心酔して、メルスの時に、耳から桜の粉入れられたんだわ、って、2017年8月にやっと気がついた。遅え。

・そこから心酔が祟って、野田秀樹よりすごい人が演劇の世界にはいるかもしれないと、
王道蜷川幸雄などなどにも手を出し、ハマり、芝居見まくって激走していたら、
思いもよらないところに出て、その場がまた楽しかったり、苦しかったり、
大体緊張して吐きそうだったり、いろいろあって。
でも激走できたのは、野田さんがずっとそこにいたからで、激走したおかげで、
舞台と観客という関係性とはまた違うところで、野田秀樹を見ることもできた。
これは私の誇り。

・野田さんは勘三郎さんのことが大好きだから、私も勘三郎さんが好きだった。
中村屋が好きだった。
コクーン歌舞伎も桜姫から見に行くようになったし、
2005年の襲名披露公演で研辰をやってくれたから、歌舞伎座にも気軽に足を運べるようになった。
夏祭浪花鑑の勘三郎さんの団七。肉体の芸術の塊。
燃えるように駆けて行った、その残像は私の中に確かに刻まれている。
ものすごく美しかった。
こんなに格好良くて美しい肉体があるのかと、
あの時、コクーンのL側の中二階の立ち見から、
梯子を使った立ち回りを見て感じた。
目の前の団七、額の赤い三日月、熱。

・あの熱が永遠に失われた2012年12月5日。
12月27日、本葬。築地本願寺。
もう開いた瞬間電池がなくなってくようなガラケーでワンセグをつけたら、
野田さんの弔辞だけは綺麗に音声を拾ってくれた。
隣に並んでいたおばさまが、
「暖まりに行かなくて大丈夫ですか?」と優しく声をかけてくださった。
お焼香の香りも、その場から離れられず涙しながら立ち尽くす人も、
あの手を合わせた写真も、きっとずっとファンの一人ひとりにまで感謝の思いで、
頭を下げ続けていたのだろう勘九郎さんと七之助さんの姿も、
そしてリズム感抜群で飛び跳ねてた七緒八くんも、私の記憶の中に。

・また時が経って、今年1月、足跡姫。
野田さんが地球の反対側まで穴掘って、勘三郎さんを、
歌舞伎座の桜の森の満開の下に連れて行ったのを、これまた初日に目撃。
愛が深すぎる。
これだけ愛した人に、こんなにも早く先立たれた野田秀樹のことを思い、嗚咽。
初日の客席、終演後、ふわっと舞台を見つめていた勘九郎さんの眼差し。
泣いてばかりっすわ。

と、ちょっと大まかに「・」をつけてみましたが、こんな12年間の中の出来事が、桜の花びらの渦と一緒に茫然と一気に押し寄せてきたのですが、
それが重すぎもせず、不快でもなく、悲しいわけでも、嬉しいわけでもなく、
ただただ「必然」だったと思えた。

勘三郎さんの不在は今もなお、とても大きいもので、
またこの穴を見つめる必要はあっても、埋める必要は全くないと思っているのだけれど、勘三郎さんの不在があったからこその、中村勘九郎の耳男と中村七之助の夜長姫だった。
今、桜の森〜をやるのなら、この二人でなくちゃいけなかった、と思う。



野田さんに出会ってしまってからの、12年、一回り。
自分の身に起きたことさえも、すべてを含めて「必然」だと思わせてくれるほど、
『桜の森の満開の下』は美しく、深く、大きくて、儚いのに、強かった。
遊眠社は見られなかったし、新国立だって見てないし、
見られなかったの悔しくて、めちゃくちゃ憧れ続けた『桜の森の満開の下』。
今、やっと出会えた桜の森〜が、積もり積もった累年の憧れを優に超えて、
凄まじく綺麗で、全くわけがわからないのに全部がわかって、
可笑しくて哀しくて、美しくて、美しくて、美しくて…!!
本当に、本当に、嬉しかった。
演劇が生き続けていく、瞬間に立ち会えた。
演劇を見続けてきて、良かった。

走れメルスで野田秀樹に呪われて、
その呪いを桜の森の満開の下で野田秀樹が解いてくれました。

ぐさっとひと刺し、さよならのあいさつもせず、胸を突いて殺してくださった。
殺してくれたから、輪廻、また次の12年をしぶとく、
マナコのように、俗物として、ちゃんと生きていけるんじゃないか、
という気が、今は、する。


「好きなものは、呪うか、殺すか、争うかしなければならないのよ。」


呪って、呪いを殺して解いて、また新たに呪われた気がします。

そんな、もうね、そんなことされたら、おい、野田秀樹、
これから先も逃れられないじゃないですか、笑うわ。

そんな気持ちになったので、それではみなさんご一緒に、

いやあ、まいった、まいったなあ。




ですよね、ほんとに、本当にまいった。

野田秀樹が下り続ける坂道を、
私もずっとずっと後ろからゆっくりと、下って行けるのだろうか。
野田さんがころがっていくなら、あたしもころがってくよっ、と言いたいけれど、
俗物、終わりのない坂道はこわいよ!


初日観たあと、マイコプラズマ肺炎にかかった話も、そのうち書こうかな。
こちらも、いやあ、まいった、まいった。
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