泣くな、はらちゃん
テレビドラマが面白いっていうか、岡田惠和が気になる、っていう方が正しいかもしれません。
あとは『あまちゃん』の宮藤官九郎なのですが、今日は宮藤さんは置いといて岡田さん。
『泣くな、はらちゃん』
を今現在6話まで見ましたが、
これ、ものすごい。
です。
かまぼこ工場に勤める越前さん(麻生久美子)が日々のあれこれストレスを吐き出す為に描いていた漫画の主人公はらちゃん(長瀬智也)が、ある日、自分の目の前に現れる。漫画の世界の人なので、こちらの世界のことを全然知らないはらちゃんと、はらちゃんを作った、いわば神様的存在の越前さんとのラブストーリー。
ということで、矢沢あいが須藤晃と恋愛するようなドラマなので、そもそもの設定は荒唐無稽。
でもその先のリアルと心の揺れを書くのが、岡田さん、とても上手い。
そして、その荒唐無稽さ、、、つまり想像、物語を用いて、人が生きていくことの切なさ、愛しさ、悲しみを照らす。
ファンタジーを通して現実を浮かび上がらせるわけだな。
人が生きて死ぬことを描きたいなら、ファンタジーな部分は排除して、それこそリアルな人間ドラマを描けばいいのかもしれない。
でもそうはしていない。
だとしたら、なぜ、漫画の登場人物が現実世界に現れるなんていうファンタジーが必要なのか。
はらちゃんは、犬も、猫も、カメも、かまぼこも、片想いも、両想いも、車も、死も、ちゅーまたの名をキスも、えびピラフも、コーヒーも、、、知らない。
だけど、神様=越前さんの幸せの為ならなんでもしたい。する。
越前さんがイライラしたりして不幸だと、自分の世界が暗いままだから、なにより越前さんが大好きだから。
これは何ですか?
これはどういうことですか?
知らないこと、わからないことに出会うたび、はらちゃんは現実世界の人に素直に問いかける。
あれ?そう問われたらなんだろう?
わかってたつもりだったけど、じゃあ、なんて答えればいいんだろう?
どう言葉にしたらいいんだろう?
私たちもわかってなかった(笑)
だから、はらちゃんと一緒にもう一回考えて、なんとなくわかったような…やっぱりよくわかんないけど、でも、はらちゃんたちと一緒にもうちょっとだけ考える。
答え、ないわ。
でも考える。
そういうことが、架空の物語の世界を通したら、出来る。
現実を現実のまま描くよりもスムーズに。
はらちゃんのことをよくわかんないヤツながらも、いい奴っぽいから、距離を取りつつ優しくしてる、越前さんの周りの人たちの描き方も好きだ。
ドラマとしても絶妙な距離感だと思う。
あまり優しくしすぎても気持ちが悪いし、でも得体が知れないと邪険に扱うというのもリアリティはあるかもしれないが、あたたかさに欠ける。
この辺の人と人との距離感覚が岡田さんのドラマが好きだと感じる理由のひとつだと思う。
これから先のお話でどんなことが待っているのかまだわからないけれど、5話「もう会えないの?」の衝撃が強くって…。
だって“人が死ぬこと”と“両想い”を同時にあんな形で見せられたら、もう、心ざわざわしますって。
ドラマが好き、お芝居が好き、って改めて実感してしまうって。
「死」「海」「ファンタジー」「神様」「家族」
辺りは岡田惠和脚本をより味わうキーワードになるのかも。
漫画の登場人物に愛情を注ぐ越前さんは、そのまま自分のドラマの登場人物に愛情を注ぐ岡田さんのちょっとした分身、、、(麻生久美子の方がめちゃくちゃ可愛いけど、そもそも性別からして違うけど)、、、みたいに思っていてもいいのかな。
漫画の中の登場人物が死ぬ理由は二つ。
ひとつは漫画の中で殺されること。
もうひとつは漫画を描かなくなること…つまり忘れられてしまうこと。
なにがどうしても、私も岡田さんが描いたドラマの中の人が大好きなので、きっと岡田さん自身は忘れないんじゃないかな?と思いますが、微力ながら私も忘れないでいることで、死なせないよと。
長生きしてきましょう、えぇ。