野田版 桜の森の満開の下 初日(とマイコプラズマ肺炎)

2017年09月03日
6月2日のことでした。
友人から歌舞伎美人のURLと共に、「野田さんだよー!」とLINEが入ったのは。

ついに…!
と涙が出そうになったのと同時に、あわあわそわそわして、そうこうしている間に、また、
ついに……!!
という思いが深まり、泣きそうになって、いやそうか、そうなのか、
ついに………!!!
を繰り返した結果、LINEにまず、

「猿弥さんがでるーーー!!!!!!」

と返信をしたのがはじまり。

「そこ!笑」

って言われたよ。
感慨に浸り、頭がショート寸前だったんだよ。
このLINEをもらって、すぐ、初日はなんとしてでも駆けつけなきゃと思い手帳に日程を書き込み、ソワソワすること3ヶ月。

ついに、だけど、案外すぐにやってきた、2017年8月9日。

理由はあると言えばあるのですが、電車では銀座を二駅も通り過ぎるし、『桜の森の満開の下』をこれから歌舞伎座で観るんだと思うと鳥肌立つし、開演前にお茶した友人には「落ち着いて」と何度も言われるし、お前出るのかよ、出ねぇよ、たぶん出ねぇけどずっと鳥肌立ってるし緊張してんだよ、もうわけわかんねぇよ、幟に歌舞伎座初日ってあるよ、観る前から泣くわ、今日観られるなんて泣くわ。野田さん。好き。

みたいな、精神状態。(こわい)
浮き足立ったまま筋書買って客席座ったはいいものの、咳が出そうで、んなこと許せるかと木挽町広場のセブンでヴィックス買ってとにかく口に入れて、鎮まれ…!と喉に強い念を送り、まずは野田さんの舞台初見時の自分の恒例、挨拶文を読む。

あいさつが
七五調だよ
まいったな

勘三郎さんを失ってからの野田さんは大人と子供のバランスが不安定で、がくがくっと精神が子ども帰りしてしまった部分があるに違いなく、こっちが赤面するぐらい勘三郎さんへの愛を隠さずにい漏らしている時があって、この筋書きに載っている挨拶もそうだった。
でも少し踏み出しもしている挨拶文。鬼を背負って満開の桜の森の下に座り続けてしまう、呪われた、美しい創作者の覚悟。
この人が好きだと私はこの文章を読んだだけで思う。胸がいっぱいになる。

野田秀樹に出会えてよかった。


作品が本当によく見えたのは2回目を観た時だと思う。
初日は、目の前の景色を言葉を身体にいっぱいいっぱい入れて、それが全て夢みたいで、掴みたいのに掴みきれない部分がたくさんあった。
ただ『桜の森の満開の下』がそこにあったことがおそろしくも幸せだった。

カーテンコール、終わった、と、たぶん、おそらく、舞台には出ていなかった私は、茫然と拍手を送る。
いまこの時、この舞台に出会えたことへの感謝を込めて、拍手を送る。
やっと出逢えた。待っていた。

あぁ役者さんみんな誰かを探してるな〜
あぁ探すって野田さんしかいないか〜〜

ぼーっとしていたら、左横の花道が明るくなった。

パッと光った歌舞伎座の花道を、野田秀樹が駆けて行った。

もともと泣いていたけれど、あの野田秀樹の軽やかさと駆ける後ろ姿の尊さに、決壊しました。

勘三郎さんが駆けられなかった歌舞伎座の花道を野田秀樹が駆けて行った。

あの姿にあんなに涙が溢れたのはなんだったのか、いま、また少し分かった気がする。

あれは、足跡がついた瞬間だったんだ。

形の残らない舞台芸術や肉体の芸術だけれども、野田さんが初めて新しい歌舞伎座の花道を、お客さんがいる前で走って行ったあの瞬間は、私に確実に足跡を残した。
どうしても泣きが入る、ウェットになる、勘三郎さんへの想いが消えないから、早過ぎた肉体の死まで劇的で、どうしても野田秀樹と中村勘三郎を分けて考えられない。
分けられたら、勘三郎さんが耳男だったら、こんな感慨を抱かなかっただろう。
でも現実、勘三郎さんはおらず、舞台の中心にはその息子二人がいて、その舞台を作演出したのが勘三郎さんの盟友・野田秀樹。

泣きの要素が揃っているのも運命、とボロボロ泣いて、足元に落ちた一枚の桜の花びらを手に取り、野田秀樹がまた好きになってしまって、どうすんだよ、この後に及んで更に好きになるとか、まいった、っていうかもはや絶望じゃん、好きだわ……と打ちのめされて、気が付いたら家にいました。


翌10日は、米倉涼子を愛でるお肉ツアーに出かける予定で、これもまたウキウキしてたんですけど、明け方5時ごろだったか、今まで体験したことのない激しい悪寒に襲われました。
吐くかと思ってトイレに行くも、なんともなく、全身の寒気だけは収まらず。気が付いてはいたけど桜の森初日、2、3週間前から咳は止まらないわ、体調不良だわ、な自覚はあったな、そういえば!

でも私は米倉が食べた肉を友達と食べるの!!!!!
無駄にロマンチックなロケーションでの無駄なお散歩するの!!!!!

と、熱意と情熱と熱い想いで悪寒をマジでおさめ、起きたらそこそこ好調。

あ、、、霊感はないけど、これは桜の森から何か引き連れて帰ってきちゃったんだな…そうか。。。

とマジで思いました。
そのくらい、結構頭おかしい感じで思い入れてたような気もするので(笑)


でもね、違ったの、お肉食べても、無駄にロマンチックなロケーションでの無駄な散歩のお供しても咳出まくって、超うまい焼肉屋さんで、トチ狂って疲労回復ヒアルロン酸サワーとか飲んでも咳出まくって、机に突っ伏しながらも肉食って、小雨の中、渋谷まで歩いてたら、次の日ね、

39度近い熱が出たの!!!!!!
桜の森の満開の下、こええぇぇぇぇぇえーーーーーー!!!!

インフルエンザでもまあ食べようと思えば何か食べられる私が、この私が、何も口にする気が起きず、ひとりで病院に行ける気もせず、部屋の階段降りたら力尽きて階段に座り込み、それでもなんとか病院に行き、これなんなんすかね?夏のインフルエンザ?熱中症?つらいっす、咳しすぎて背中も痛いっす……と先生に訴えたら、レントゲン撮られ、採血され、喉の粘膜ぐぇえっと取られ、無心で検査結果を待つこと数十分。

マイコプラズマ肺炎ですね。

なにそれ、カッコいい。プラズマ。
なんか、よくわかんないけど今までかかったことのない病気だった。
よかった、この辛いの病気か。
辛いけど理由がわかると幾分か楽な気がするよ、うん、早く帰って寝たい、薬おなしゃっす。



朦朧とした意識の中、それでも想ったのは、桜の森の満開の下。
もう私、野田秀樹が作演出をする桜の森の満開の下の初日を観られたから、ここが今の最高到達点だったから、ここさえ、これさえ抑えられたら、ほかはもういいかもしれない。
桜の森が観られたから、あの桜の森が観られたから……

と、結構本気で思えました。
ここまで思える舞台に出会えたのは、観客として本当に本当に幸せなことだと思っています。

ありがとう、野田さん。
同じ時代を生きることができて、私は本当によかったです。



でも、表に出ろいっ!English ver.も観たいな。
米倉さんのCHICAGO千秋楽も、その翌日の歌舞伎座二部も観たいな。。。(体調おして観たわ)(ごめんなさい)(負けられない)

こんな欲ばっかりだよ、俗物なめんなよ。

野田版 桜の森の満開の下

2017年08月29日
あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、、、
やっと、やっと、やっと、やっと、やっと、出会えました。
『桜の森の満開の下』に。
この作品と出会えたことは確かに現実なのだけれど、
千秋楽を過ぎた今も、やっぱりあれは夢だったのでは?と思う瞬間が幾度もあり、
でもでもやはり、私は歌舞伎座で『桜の森の満開の下』を観たのだと、
そう実感を残しておくにはどうすればいいのだろう、
書き残しておこうかな、昔のように。
『桜の森の満開の下』に憧れ始めた昔のように、
言葉に残しておこうかと、ふつふつと思い立ち、
久しぶりにここにポッと出てみた。

私が観たのは初日と前楽の2回。
回数のことを言えばもっと間で観られたはずだし、
千秋楽だって観に行こうと思えば行けたに決まっているのだけれど、
なんだかちょっと怖いのと、
たくさん観たら薄れてしまうような気がして、2回に収まりました。

初日…の思いはあとあと書くとして、前楽ですわ。前楽。




野田さんがこれまでの呪いを解いてくれ、
そして新しく同じ呪いをかけてくれたような、そんな心持ちになりました。
それがすごくすごく嬉しくて、清々しくて、ものすごくすっきりとした気持ちです、今。

夜長姫の「お前がころがるなら、あたしもころがっていくよ。」あたり。
割と膨大な時間の、これまでの全てが雪崩れ込んできたような感覚なのに、
ひとつひとつが明確に理解できているようにも思えた一瞬。

あ、この瞬間のために、今までがあったんだ。
全てが、今、ここで、『桜の森の満開の下』を見るための布石だったんだ。

と、感じたんです。

まあ、、、
言葉にすると、改めてこうして、書いてみて、自分で目で見て、読んでみても、
なんてこの人、大げさな、ほんとに、まあ……と半分の自分は思うのですが、
もう半分の自分は、本気で「これが運命か」と滂沱し、打ち震えました。


・野田秀樹の舞台を初めて観たのは、2004年12月22日。
深津絵里が大好きだったんです。18歳で高校卒業前。
進学先も決まり、バイトも始めたし、
渋谷なんか数えるほどしか行ったことがなかったけれど、
深っちゃんを生で見たかったから、
『走れメルス〜少女の唇からはダイナマイト!〜』。
野田さんの名前は知っていたけれど、ただ名前を知っているぐらいだった。
こうして野田地図を観に行って、頭ぶん殴られたのが、
今から約12年ほど前ですか、そうですか。
深っちゃんの相手役、久留米のスルメは、
勘太郎時代の勘九郎さんだったのもサダメ感を高まらせる。

2004年が初野田さんなので、
当然新国立の深津、堤ver.の桜の森〜は見ていないけれど、
深津絵里も夜長姫、その相手役だった勘九郎さんが耳男。
メルスの千秋楽の客席には、確か勘三郎さんもいたよね。
そしてずっとそこにいる野田の秀樹さん。

芙蓉とスルメの姿が、舞台の上の七之助さんと勘九郎さんの姿と重なったと思ったら、これまでの全てが、サブリミナル的に頭をよぎり、
パズルのピースがパチパチと音を立てながら、
ものすごいスピードではまっていった。
そして、まざまざと浮かび上がったのが、この『桜の森の満開の下』だったのだと、
あの散る桜の花びらの中で舞う夜長姫と耳男だったのだと、
私にはもう、そう思えてならなかった。泣く。
これが妄想だとしても、もう、そうなんだから、そうなの!!


・メルスを観た後、野田秀樹は天才だと思いました。
いや天才なんか遥かに超えてないか?この人…え?人なの?神じゃないの?期間。
が、私には確かにあって、心酔して、メルスの時に、耳から桜の粉入れられたんだわ、って、2017年8月にやっと気がついた。遅え。

・そこから心酔が祟って、野田秀樹よりすごい人が演劇の世界にはいるかもしれないと、
王道蜷川幸雄などなどにも手を出し、ハマり、芝居見まくって激走していたら、
思いもよらないところに出て、その場がまた楽しかったり、苦しかったり、
大体緊張して吐きそうだったり、いろいろあって。
でも激走できたのは、野田さんがずっとそこにいたからで、激走したおかげで、
舞台と観客という関係性とはまた違うところで、野田秀樹を見ることもできた。
これは私の誇り。

・野田さんは勘三郎さんのことが大好きだから、私も勘三郎さんが好きだった。
中村屋が好きだった。
コクーン歌舞伎も桜姫から見に行くようになったし、
2005年の襲名披露公演で研辰をやってくれたから、歌舞伎座にも気軽に足を運べるようになった。
夏祭浪花鑑の勘三郎さんの団七。肉体の芸術の塊。
燃えるように駆けて行った、その残像は私の中に確かに刻まれている。
ものすごく美しかった。
こんなに格好良くて美しい肉体があるのかと、
あの時、コクーンのL側の中二階の立ち見から、
梯子を使った立ち回りを見て感じた。
目の前の団七、額の赤い三日月、熱。

・あの熱が永遠に失われた2012年12月5日。
12月27日、本葬。築地本願寺。
もう開いた瞬間電池がなくなってくようなガラケーでワンセグをつけたら、
野田さんの弔辞だけは綺麗に音声を拾ってくれた。
隣に並んでいたおばさまが、
「暖まりに行かなくて大丈夫ですか?」と優しく声をかけてくださった。
お焼香の香りも、その場から離れられず涙しながら立ち尽くす人も、
あの手を合わせた写真も、きっとずっとファンの一人ひとりにまで感謝の思いで、
頭を下げ続けていたのだろう勘九郎さんと七之助さんの姿も、
そしてリズム感抜群で飛び跳ねてた七緒八くんも、私の記憶の中に。

・また時が経って、今年1月、足跡姫。
野田さんが地球の反対側まで穴掘って、勘三郎さんを、
歌舞伎座の桜の森の満開の下に連れて行ったのを、これまた初日に目撃。
愛が深すぎる。
これだけ愛した人に、こんなにも早く先立たれた野田秀樹のことを思い、嗚咽。
初日の客席、終演後、ふわっと舞台を見つめていた勘九郎さんの眼差し。
泣いてばかりっすわ。

と、ちょっと大まかに「・」をつけてみましたが、こんな12年間の中の出来事が、桜の花びらの渦と一緒に茫然と一気に押し寄せてきたのですが、
それが重すぎもせず、不快でもなく、悲しいわけでも、嬉しいわけでもなく、
ただただ「必然」だったと思えた。

勘三郎さんの不在は今もなお、とても大きいもので、
またこの穴を見つめる必要はあっても、埋める必要は全くないと思っているのだけれど、勘三郎さんの不在があったからこその、中村勘九郎の耳男と中村七之助の夜長姫だった。
今、桜の森〜をやるのなら、この二人でなくちゃいけなかった、と思う。



野田さんに出会ってしまってからの、12年、一回り。
自分の身に起きたことさえも、すべてを含めて「必然」だと思わせてくれるほど、
『桜の森の満開の下』は美しく、深く、大きくて、儚いのに、強かった。
遊眠社は見られなかったし、新国立だって見てないし、
見られなかったの悔しくて、めちゃくちゃ憧れ続けた『桜の森の満開の下』。
今、やっと出会えた桜の森〜が、積もり積もった累年の憧れを優に超えて、
凄まじく綺麗で、全くわけがわからないのに全部がわかって、
可笑しくて哀しくて、美しくて、美しくて、美しくて…!!
本当に、本当に、嬉しかった。
演劇が生き続けていく、瞬間に立ち会えた。
演劇を見続けてきて、良かった。

走れメルスで野田秀樹に呪われて、
その呪いを桜の森の満開の下で野田秀樹が解いてくれました。

ぐさっとひと刺し、さよならのあいさつもせず、胸を突いて殺してくださった。
殺してくれたから、輪廻、また次の12年をしぶとく、
マナコのように、俗物として、ちゃんと生きていけるんじゃないか、
という気が、今は、する。


「好きなものは、呪うか、殺すか、争うかしなければならないのよ。」


呪って、呪いを殺して解いて、また新たに呪われた気がします。

そんな、もうね、そんなことされたら、おい、野田秀樹、
これから先も逃れられないじゃないですか、笑うわ。

そんな気持ちになったので、それではみなさんご一緒に、

いやあ、まいった、まいったなあ。




ですよね、ほんとに、本当にまいった。

野田秀樹が下り続ける坂道を、
私もずっとずっと後ろからゆっくりと、下って行けるのだろうか。
野田さんがころがっていくなら、あたしもころがってくよっ、と言いたいけれど、
俗物、終わりのない坂道はこわいよ!


初日観たあと、マイコプラズマ肺炎にかかった話も、そのうち書こうかな。
こちらも、いやあ、まいった、まいった。

小泉今日子×市川真人トークショー

2015年11月10日
海馬がんばろう、と声を掛けながら、「小泉今日子×市川真人トークショー」を思い出してみようかと思います。
こう頭の前の方の、ちょっと上の方に浮かぶコイズミ像を気合いだけで落とし込む。
マジ気合いで。

今考えても、なぜ横浜くんだりまで行かなければならなかったのか、その理由が少しもわからない。
神奈川近代文学館ってどこ。
いっそのこと鎌倉文学館じゃダメだったの?

…っていうか、都内じゃダメだったの?中央公論社さん?

と、なったのは、ひとつ、その立地のせい。
小高い丘の上にありました、神奈川近代文学館。
雨の中、階段を登り、木の実を食べないように気をつけつつ、辿り着いたのは、文学館がある港の見える丘公園。
晴れた日に来たら、さぞ気持ちの良い公園だろう。



しかし港見えねーし。
雨だし。

念のためツッコミつつ、文学館へ。
期間展示は柳田國男。

「やなきだ くにお」か。

と無駄につぶやいて、会場へ。


小泉さんが来るからもう少し、客席も浮き足立つかなと思ったら、意外とそうでもなく、
年齢層も30代より上、普段から読書してますオーラが漂う人々が多かったような印象。
そこに果敢に混ざる。
普段から演劇見てます的な感じで。

またおそらく会場選び同様、中央公論社さんが謎の配席をぶちかましておりまして、
本人とも面識あるんじゃないかな?ぐらいの関係者を最前ど真ん中に座らせるというアグレッシブさを見せていた。
担当されていた鵜飼さんはわかる。
まぁでもあとは記者の方とかかな?とりあえず、最前列はやりづらそうだった。

始まるまで、落ち着いた客層なので、それほど騒がしくもなく、こういうイベントではもう長年カメラマンしてます的な、
あえて業界感出し出しなカメラマンさんが「聖子がなーあの時は〜」と他のカメラマンに語るのを、
周りのお客さんが、ほぼみんな静かにして聞いている、というような、ワクワクドキドキの開演前!


「じゃあ……あっ、ただいまから、小泉今日子書評集発売記念イベント〜……」

みたいな、開演の挨拶に「あっ」てマイクに入っちゃうような、ゆるっと感の元、小泉さんと市川さんが紹介され、登場。
(でも、しょひょうしゅう、ってちゃんと言えてたの偉いなって思った)













やだ、まさかの黒ワンピ。











黒ワンピな小泉今日子を見た瞬間、喉まで出掛かった言葉をグッと飲み込んだけれど、口から出ちゃったファンの方も数名。



「かわいい」




ですよね。わたしもそう思う。


「顔ちっちゃい」


ですよね。わたしもそう思う。







だけど、それが、いつもの小泉今日子さん。





自分でヘアメイク、なときは、手軽だけれど、TPOを選ばず、でもオシャレにも見える引っ詰めたポニーテールがデフォなんだろうか。
ぴしっとまとめられた髪が小顔を、それ以上に潔さを強調する。

首は隠して、腕隠さず(潔い)。
無駄のないラインの黒のワンピースに、ゴールドのバングル。(たぶんウエケンさんライブの時と同じ)
動くとキラッと光るゴールド系の品の良いピアス。



いい。






あ、靴も見たい。




やっぱ自分も女だし、あの方憧れの女だし、ファッションとしても全身像を把握しないと、そのあとのトーク入ってこない。
なので後ろの方、ごめんなさい。
ちょっと動いて、靴も確認させていただきました。

また10㎝はある黒のオープントゥ履いてて、身長かさ増し。






いい。




黒似合うし、アクセサリーのチョイスとか、ワンピースのラインとか、好みすぎてたまらない。
これから、この姿の小泉今日子が1時間超、書評集にまつわるいろいろな話をしてくれるのかと思ったら、静かにトキメいた。




野田秀樹の講義とかトークショーとかに行っても、たいていそうなのだけれど、こういう場に行くと人間観察みたいになってしまう。
本人が話している内容だけでなく、その話す姿とか、身振り手振り、目線、表情…自分が読み取れるだけの情報を読み取り、感じ取り、この人どんな人なんだろう?を自分なりに深めるのに全身全霊をかける。
芝居見てる時と大差ない。闘いです。
『ボクらの時代』で貴一さんが言ってたように実像でないところを見ようと、その努力だけはする。



すごくすごく面白かった。
興味深い、という、面白さ。
やっぱりそうだよね、がまた埋まっていくような脳みその快感。
役が入ってないから、よりストレートかも。




まず市川さんから目を離さないです。
市川さんの目を見て、その質問の意図を逃さず汲み取ろうとする。真っ直ぐ。

どうだろう…?
と考えてるときは、ちょっと瞳が上を向く。

すごく笑うほどでもない、でも会話の中のちょっとした笑いポイントでは、必ずと言っていいほど「ふふふ」って可愛い声出す。
この「ふふふ」は間を埋めるクッションみたい。

マイクを両手持ちして喋るのが未だに板につくのに、無造作に肩に手をやり、下着なんとなく直してるっぽいのやめて(笑)
終盤になってくると集中切れてきたのか、痒いのか、耳の裏から首筋触りながら喋り出すのもやめて欲しい(笑)


表情も印象に残る。
特に笑顔。
あれは大袈裟に言ってみれば「作り笑い」を極めた、芸能生活30うん年が織り成す伝統芸ではないかと。
他者との摩擦が一番少なくてすむ笑顔があれじゃないかなぁ?考え過ぎ??
作り笑いを超えて、身体に染み込んでるっぽい感じがグッとくる。
作らずに自然にあの顔で笑える、無意識で出てくる芸。
「ふふふ」と同じ感じで、同じ顔して笑います、小泉今日子。


でもそれが見ていてイヤじゃない。




話す言葉からは聡明さが。
心底上手いなぁ…とその場では笑いながらも、後々感心しまくってしまったのは、上下関係の話になったとき。

市川さんは「小泉さんは、キチッとしている感じがするけれど、天狗になったりしなかったのか?チヤホヤされましたよね??」と問いかける。

「うーーーーん、自分より年上の人が、私が持ってる荷物を、持ちますよ!とか言われたこともありましたが、いや、いいです(汗)って普通になりますよねぇ。年上ですし。」

「あぁ、そういう感覚をお持ちなんですよね」

「体育会系とは違うところで、上下関係を学んだというか…」

…はっ!とする市川さんと客席。

この発言対する反応をパシッ!と受け止めて、ものすごい良い球投げまくってきたんです、小泉さん。

「あの時代がいまの私を作った」
「…厚木というのは良い街で」
「あ、先輩!お疲れ様ですっ!!ジュース買ってきましょうか?!」
(いきなり立ち上がり、市川さんを気遣う)

「ヤンキー」という言葉を一言も発さずに「ヤンキー」ネタをバンバン投げてくれた。
思い通りにウケる客席の反応、楽しむみたいに。
マジな部分もいっぱいあるのかもしれないけど、ここ反応見て、話盛ったんだろうな、って思うんですが、真相はわかりません(笑)


市川さんも同じく聡明な方で、客席の反応を流れに組み込みながら、小泉さんの言葉を本で生きてる人として聞き出してくれた。
すごくすごく読んでくださって、自分で感じた気持ちを問いにして、小泉さんに投げ掛けてくれた。
また小泉さんに四十九日のレシピ書評を読んでくださいとお願いしてくださったのは、素晴らしくありがたく、

「老眼で……」

とつぶやきながら、本と目の距離を調節する、小泉今日子(49)までオマケで見ることができた。
今度は老眼鏡かけて本読んでる小泉今日子も良いんじゃないかと思う。

市川さんにもどうもありがとうなのです。
相乗効果でより刺激的なトークショーだった!


と、とりあえず疲れてきたので、一旦挙げますね。
加筆修正はしたりしなかったりするかもしれないですが、とりあえず、あたしにノートパソコンください。
iPhoneで文章書くのは辛いです。
というのが、「小泉今日子×市川真人トークショー」の現時点の最新感想。

希望のホシ

2015年10月13日
最初に、これから始まる芝居のダイジェスト(予告)がつくんですが、冒頭5分ですかね?見た瞬間に『あ、私はダメなやつだなぁ』と、なりました。
その理由として第一に、

「言葉の感じ」

と、でも言ったらいいのか。
私は引き算された、足りてないからこそ、想像で伝わる芝居の言葉、会話に魅力を感じるのですが、すぐ、「あ、この芝居逆だな」って。
例えば初めの方の、所轄と捜査一課が組んで事件を捜査する〜云々という、緒月さんのマジで説明でしかない説明台詞とか、そういうのが本当に苦手。

で?

ってなる。

自分と好みの合う脚本家さんだったら、本当にどうしようもない時しか説明でしかない説明台詞って書かない。
あと物凄い言葉乱射系の作家さんでも、もちろん好きな方いるけれど、溢れ出る感覚の乱射、だと思うんだ。
説明台詞が次から次へとテンポよく出てくるんじゃなくて、身体や頭から出てきた言葉が結果的に戯曲になってしまったのが好き。

稽古場映像を見たとき、この演出家さん、どっちに転ぶんだ?と考えた。

厳しそうだけど、その裏に熱さと愛情のある方だろう。
こういう芝居にしたいというビジョンも明確そうだ。
だとしたら、もしかしたら、キチンとした刑事モノに仕上がっているのかもしれない。
私が知らなかった、新しい面白い作・演出家さんとの出会いにもなる。

んんんーーー、とね、見終わって今思うのは、愛はあるけど、これは、

「演出という名の強制」

じゃないかなぁ〜…って。

そう思うのは、特に主要4人以外の芝居。
養成所に通ってます!的な若い子もいるんだろう。個々の演技力もきっと発展途上。
でも私は『ええぇぇ!?!?』とか、そんな同じリアクションを一斉に何人もがする、そのノリについて行く気がゼロ。
人と人ってあんな風に喋ったり、動いたりしない、リアルには。
芝居じゃん、と言われたらそれまでな、ただ好みのタイプの問題。
っていうか、でもね、緒月遠麻を従業員の台詞もないぐらいの役に入れてみたら、わかるよ。
キャラがもっと立つから。
なんか愛おしい人が生まれるから。
今回群衆じゃなくて、メインキャストだから、それできなくて残念だけど、緒月さんが演じれば、台詞なんかなくたって、一人の人になるんだ。
それを脚本と演出の力でまず成し遂げてほしい。
役者は思い通りに動かせるロボットではない。人だよ。

話の山場も娘の晴れ姿と父親(犯罪者)ではなく、刑事の信念に置くべきだと、思う。
あの刑事4人がもっと絡み合うエピソードの中で泣きを入れるのが筋だ。
犯人にたいした思い入れもないのに、同情だけを下敷きにした不自然なホテル従業員たちの共謀作戦、取って付けたようなお涙頂戴の感動っぽい再会…その様子をただ見てる主要キャスト4人…の図はやっちまったなぁ〜〜としか思えず、ここで泣かせる!と意気込んできた、その感覚の違いに、さぁーーー…っと血の気が引く思い。
散々石原プロの初舞台作品って煽ったのに、ヒーロー、ヒロインであるべき人たちがクライマックスで傍観者。というか、むしろクライマックスに至るまでを散々邪魔してるという怖い話。
ブラックコメディかよ。笑えねぇよ。

あーこまざわこうえん…
東京きゃらばん…松たか子…宮沢りえ…
のだひできのワークショップ見に行けばよかった……

ラストの希望する!!

連呼も苦手だ。
演劇ってこういうものでしょ、感が恥ずかしい。
私の好きな演劇はこういうものではない。

ああ、こまざわこうえん…
東京きゃらばん…おまつ…りえさん…
野田さん…

石原軍団の3人と緒月さんとゲーリーの5人辺りは、プロの役者だなと。
だったら、この5人辺りだけで芝居作れなかったんだろうか。

あと、そうだ音楽があまりにスーパーで掛かってる音楽っぽくて、ラスト、ビックリして、役者じゃなくてスピーカーを見ました。
「え、このタイミングでイオン!?マックスバリュー!?」
みたいな曲かかりますよね。やめよう。
だったら裕次郎さんが出ていた刑事ドラマやら、なんやらの、有名な曲をガンガンかけちゃうとか、なんかやりようあるはずだ。
格好良い音楽は、今やネット上にもTSUTAYAにも溢れてる。

ということで、もう一度言う、全体的にも、なんかやりようあるはずだ。

ブログずっと読んでますが、緒月さんが楽しい、笑えると言うものは、やはり私の趣味ではないんだなぁー、と改めて実感しました。
予想ハズレればいいなと思ってたけど、予想通り。
つくづく緒月さんとは趣味が合わない。
もう笑ってやってください。

いつか私も心から素敵だと思える作品に出演くれることを、希望します。

風花

2015年08月05日
すごいなぁ。
これ、相米慎二さんがすごいんだろうなぁ。

小泉今日子を撮った映画でした。

最後から二番目の恋を見て小泉今日子好きになって、
好きだなと思ったからジッとよく見るようになって、
よく見たらアレ?この人って?思うところがあって、
このアレ?って感じたところが私の小泉さんに対する好きを深くした。

このアレ?が映画の中にあった。
だから好きになった。
理由が全部この中に。

小泉さんは私にとっても自分を捨てて、世を捨てて、雪山の静寂に惹かれて行ってしまう人でした。
音もなく、色もない世界に身も心も奪われてしまいそうな人。
だけど、なんか人って暖かいから生きてくか!って、こっちの道を選んだ人。

映画という表現で、
「私が見た小泉今日子はこれです」
って監督が言ってくれたみたい。

私もそう思う。

と感じられたことは、なんだかこそばゆく嬉しくもあり、でもあのコイズミが今の小泉さんの中にもいると思うと、哀しいし寂しい。


自分では死なないと決めたなら、生ききってください。
と、いちファン、願う。

電車の中で暇だったから更新する

2015年07月28日
阿弖流為見ましたーーーー!?!!!

もう興奮しちゃって、誰に呼び掛けるでもなく、呼び掛けます。
演劇の新しい1ページに触れられたな、って。
ちょうど10年前から、ほんのりとずっと好きだった勘九郎さんは、やはり10年前に好きだと思ったときと同じように好きだと思えて涙が出た。
正直、ドキドキするとかっていうトキメキのない好きなのですが(笑)、じわじわと胸を掴まれるように好きが溢れる。

なんて素敵な田村麻呂だっんたろうか。

10月にも大阪で会えるのか…
ちょっと頭の中を、そんな思いが過る。10月。

こんな辺鄙なブログなくせに、緒月さんの記事にばっかり拍手されて、なんだかな。だから、大阪で阿弖流為見られる緒月ファンは阿弖流為見に行ってください。
見ろ。


あと、あれだ読売演劇大賞だ。
私はおそらく日本一『白夜の誓い』と『草枕』を見た人間だと思うんですよね、かなしいかな。
その点だけで言って、作品賞に『アル・カポネ』が入って『草枕』が入っていないのが悔しくてたまりません。
たとえ読売演劇大賞であろうと←

だって草枕、女優賞に小泉今日子、演出家賞に寺十吾、スタッフ賞に小川幾雄、松井るみがノミネートされてるんですよ?
それだけ作品全体のクオリティが高かったんですよ。
品もよくってさ。
良いシスだったのっ!
アル・カポネの雪組子の熱演はもちろん評価しております。
雪組愛ありますよ。当たり前さ。
でもさぁ、じゃあ、北村想じゃん…っていうか、読売の趣味的にも北村想はありな方じゃないんですかねぇ。

だったら、だいもんの女優賞とかさぁ。

「宝塚の限界を広げようとした」って、私の限界、先に来てるよ\(‘jjj’)/

モヤモヤしてます。
半年ほど退団してから時は経っていますが、根は深いなと思うばかりです。


ふふ、でも小泉さんのノミネートはすごく嬉しいな。
草枕の演出、照明、美術も評価されてるのもすごく嬉しいな。
普通のところをものすごく丁寧に見せてくれた演出であり、照明であり、美術であったと思う。
最終まで小泉今日子が残りますように。
演劇面でも賞が取れたら、それはそれで素敵だ。


あ、最優秀女優賞はもうお花様でいいんじゃないかと(笑)



万が一、これ読んじゃったら、阿弖流為、松竹座で見てくださいね。
ん、では。
 | HOME | Next »